考古学
古墳 |
死者の魂を永遠に和ませる役割 |
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前方後円墳の形は飛んでいる鳥を上から見た姿か 丸い部分が体、尾の部分が撥型。 |
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奈良市の鶯塚古墳は前方後円墳 |
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仁徳天皇陵古墳は百舌鳥にある 「丁酉に、始めて陵を築く。是の日に、鹿有りて、忽に野の中より起りて、走りて、役民の中に入りて仆れ死ぬ。・・・其の痍を探む。即ち百舌鳥、耳より出でて飛び去りぬ」 |
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ヤマトタケルの御陵は「白鳥御陵」 |
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埴輪 |
畿内から各地に広がった |
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実物の鳥を見ながら作るのではなく、ほかの埴輪を見て作る。 そのため、写実性はだんだん失われていく。 |
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円筒形の台の上に胴体を乗せる作り方。 |
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鶏 約290 水鳥 約110 鵜 約10 鷹 数対 鶴か鷺 数対 |
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鶏 |
4世紀前半からみられる。 耳を表す粘土円板を貼り付け、目のきかない夜にそばだてる耳を強調。闇にまぎれて近づく敵の気配に気づくと鳴いて邪を退散させ、光を呼ぶ。 |
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水鳥形埴輪 |
大阪府津堂城山古墳 4世紀後半 コハクチョウ 高さ1m以上のものも 最古、最大 |
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水鳥形埴輪は、中九州〜北関東の59か所の遺跡から99体が出土 6世紀に多い 広い濠を渡る死者に付き添えるのは、水鳥だけ。無事、墳丘にたどり着くまで見届けてくれる。 |
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鳥形埴輪 |
古墳時代には飼育された鶏、鵜、鷹。 野鳥の水鳥が多く出土。 |
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鵜飼い |
古墳時代には首に紐の付いた埴輪があり、飼育されていた。(5世紀) 紐には鈴を付け、葬礼に列している。 (縄文時代には鵜は食糧) |
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鷹狩り |
権力者の象徴 尾には鈴が付けられ、鷹の行方を音で知る。 5世紀から |
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太刀 |
銀象嵌銘大刀 |
熊本県 |
鵜 |
5世紀後半〜6世紀初め |
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双鳳環頭柄頭 |
古墳時代後期 双鳥文 |
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幡 |
灌頂幡 |
古墳時代終末期 双鳥文 |
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鳥形木製品 |
葬送儀礼 死者の霊を天空に運ぶ |
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愛知県 本川遺跡 古墳と関係ない窪地で発見。 集落の境界を守る鳥か。 |
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韓国では、村の守り神「長柱(チャンスン)」は、男女二柱が村の入り口に立てられ、一本の棹を立ててその上に木製の鳥を付ける。 |
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鳥形土製品 |
縄文時代は、イノシシ形土製品に比べ、はるかに少ない。 |
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弥生土器 |
鳥はシカに次いで二番目に多い。 |
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銅鐸 |
今までに約500個見つかっていて、絵を描いたものは約60個。 鳥の絵は約20点。(シカに次いで二番目に多い) 嘴、頸、脚が長く、鶴か鷺、コウノトリと思われる。 |
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銅鏡 |
銅鏡は朱雀など |
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和鏡 |
動物は鳥が一番多い。 |
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松喰鶴鏡 和鏡完成期の代表的な鏡 唐鏡の唐花含綬双鸞鏡が基本で、唐花を松に、双鸞を双鶴に置き換えた。 |
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鶴 平安時代の松喰鶴形式から始まり、半数近くを占める。 丹頂が多く、姉羽鶴も |
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鴛鴦 平安時代から 男女相愛、夫婦和合 |
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雀 平安時代から 竹を配す |
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鶏 時を告げる |
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鷹 鎌倉時代から |
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翡翠 江戸時代前期から |
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鶉 江戸時代から 柄鏡 粟を配す |
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鶯 江戸時代から 柄鏡 梅を配す |
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壁画 |
船の舳先に止まる鳥を描く物が多い。 |
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朱雀 四神の一つ キトラ古墳、高松塚古墳などに描かれる。 |
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土井ヶ浜遺跡 |
鵜を抱く女 弥生時代前期〜中期 山口県 天空の神と地上の霊との交流を鳥に託す。 |
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池島・福万寺遺跡 |
コウノトリの足跡 大阪府 弥生時代前期の水田跡 |
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貝塚 |
縄文時代に多い 鳥は哺乳類より少ない。 キジ類、カモ類で全体の約半分 他に、ガン類、ウ類、アホウドリ類、ミズナギドリ類、アビ類、 カイツブリ類 水鳥以外では、カラス類、ワシ、タカ類。 |
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カモ類は全国的に多い。 海鳥類は北に多い。 |
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アホウドリはアイヌ人がさかんに捕獲していた。 |
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ワシ、タカ類は、矢羽根の利用、爪の骨に穴を開け装飾具にしていた。 |
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鳥骨は、北に行くほど出土量が多い。 |
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弥生時代に減少。 弥生時代になるとキジ類が減り、カモ類、ガン類が大部分。 ツル類が増える。(水田耕作に伴い、人々が台地から低湿地に活動拠点を移動) |
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江戸時代には鶏の骨が多く、江戸時代から鶏を食料とするようになったと思われる。 ガン類34%、カモ類23%、鶏22%、キジ類5% |
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江戸時代の屋敷跡から、鷹の餌と思われる鳥の骨が出土。 スズメ、カラス類、ハト類。 |
鳥杆