枕草子

鳥は、異所のものなれど、鸚鵡、いとあはれなり。人の言ふらむことをまねぶらむよ。
鳥は、異国のものであるが、オウムが、とても可愛い。人の言葉をまねるという。
ほととぎす。くひな。しぎ。都鳥。ひわ。ひたき。
ホトトギス、クイナ、シギ、ユリカモメ、ヒワ、ヒタキ (も良い)
山鳥、友を恋ひて、鏡を見すれば慰むらむ、心若う、いとあはれなり。
谷隔てたるほどなど、心苦し。
ヤマドリは、友を恋しく思って、鏡を見せると慰められる。心が若くたいそう心にしみる。
谷を隔てて離れているときなど、気の毒だ。
鶴は、いとこちたきさまなれど、鳴く声雲居まで聞こゆる、いとめでたし。
鶴は、とても仰々しいようすであるが、声が宮中まで聞こえるのは素晴らしい。
かしら赤き雀。斑鳩の雄鳥。たくみ鳥。
ニュウナイスズメ(♂)、イカル(♂)、ミソサザイ
鷺は、いと見目も見苦し。まなこゐなども、うたてよろづになつかしからねど、
「ゆるぎの森にひとりは寝じ」と争ふらむ、をかし。
サギは、本当に見た目もみっともない。目付きなども厭で、親しみを持てないが、
「ゆるぎの森にひとりは寝じ」と、妻争いをするというが、そこが面白い。
水鳥、鴛鴦いとあはれなり。かたみにゐかはりて、羽の上の霜払ふらむほどなど。
水鳥ではオシドリに心惹かれる。互いに居場所を代って羽の上の霜を払うなど趣がある。
千鳥いとをかし。
チドリも趣がある。
鶯は、文などにもめでたきものに作り、声よりはじめてさまかたちも、
さばかりあてにうつくしきほどよりは、九重のうちに鳴かぬぞいとわろき。
ウグイスは、詩などにもすばらしいものとして作り、声を始めとして、姿かたちも、
あれほど上品でかわいらしいわりには、宮中で鳴かないのが良くない。
人の「さなむある」と言ひしを、さしもあらじと思ひしに、
十年ばかりさぶらひて聞きしに、まことにさらに音せざりき。
人が「そうなのだ」と言ったのを、そんなこともあるまいと思ったが、
十年ほどお仕えして、全く声がしなかった。
さるは、竹近き紅梅も、いとよく通ひぬべきたよりなりかし。
そうとはいえ、竹に近く紅梅もあって、(鶯が)具合よく通ってきそうな所。
まかでて聞けば、あやしき家の見どころもなき梅の木などには、かしがましきまでぞ鳴く。
退出して聞くと、粗末な家のつまらない梅の木などにはやかましいくらい鳴く。
夜鳴かぬもいぎたなきここちすれども、今はいかがせむ。
夜鳴かないのも寝坊な感じがするが、いまさらどうしようもない。
夏・秋の末まで老い声に鳴きて、「むしくひ」など、ようもあらぬ者は、
名をつけかへて言ふぞ、くちをしくくすしきここちする。
夏や秋の終わりまで盛りを過ぎた声で鳴いて、「虫食い」などと、品の無い者は、
名を付け替えて呼ぶのが、残念で不思議な感じがする。
それもただ、雀などのやうに常にある鳥ならば、さもおぼゆまじ。春鳴くゆゑこそはあらめ。
それもただ、雀などのようにいつもいる鳥ならば、そうも感じないだろう。春に鳴くからなのであろう。
「年たちかへる」など、をかしきことに、歌にも文にも作るなるは。
「新年になる」などと、趣深い鳥として、和歌にも詩にも作るということである。
なほ春のうつならましかば、いかにをかしからまし。
やはり春の間だけだったならば、どんなに趣深いことだろう。
人をも、人げなう、世のおぼえあなづらはしうなりそめにたるをば、そしりやはする。
人についても、人並みでなく、世間での評判も低くなり始めた人のことを、非難するだろうか。
鳶・烏などのうへは、見入れ聞き入れなどする人、世になしかし。
トビやカラスなどについては、注目したり、聞き耳を立てたりする人は、世の中にいないもの。
されば、いみじかるべきものとなりたれば、と思ふに、心ゆかぬここちするなり。
だから、素晴らしいはずのものとなったから、と思うにつけて、納得できない気持ちがするのだ。
祭りのかへさ見るとて、雲林院・知足院などの前に車を立てたれば、
ほととぎすも忍ばぬにやあらむ、鳴くに、いとようまねび似せて、
木高き木どもの中に、もろ声に鳴きたるこそ、さすがにをかしけれ。
祭りの帰りの行列を見るといって、雲林院・知足院などの前に車を止めていると、
ホトトギスも我慢できないのであろうか、鳴くと、とてもうまく声をまねて、
梢が高い木の中で、声を合わせて鳴いているのは、やはり趣があるものだ。
ほととぎすは、なほさらにいふべきかたなし。いつしかしたり顔にも聞こえたるに、
卯の花・花橘などに宿りをして、はた隠れたるも、ねたげなる心ばへなり。
ホトトギスは、やはりまったく言いようがない。いつのまにか得意顔にも聞こえているが、
ウツギや花橘などに留まって、なかば隠れているのも心憎いほど素晴らしい風情である。
五月雨の短き夜に寝覚めをして、いかで人よりさきに聞かむと待たれて、
夜深くうち出でたる声の、らうらうじう愛敬づきたる、いみじう心あくがれ、せむかたなし。
五月雨の短い夜に眠りが覚めて、何とかして人より先に聞きたいと待ち遠しく思って、
夜が深いうちに鳴きだした声が、気品があって魅力的で、心がひきつけられ、どうしようもない。
六月になりぬれば、音もせずなりぬる、すべて言ふもおろかなり。
六月になってしまうと、声もしなくなってしまうこと、何もかも言いようもなく素晴らしい。
夜鳴くもの、何も何もめでたし。ちごどものみぞさしもなき。
夜鳴くものは、何でも皆素晴らしい。ただ赤ん坊だけはそうでもない。

第一段 秋は、夕暮れ。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の、寝所へ行くとて、三つ
四つ二つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。まいて、雁などの連ねたるが、いと小さく見
ゆるは、いとおかし。
秋は、夕暮れ。夕日が赤々と射して、今にも山の稜線に沈もうという頃、カラスがねぐら
へ帰ろうと、三つ四つ二つなど思い思いに急ぐのさえ、しみじみと心にしみる。
まして、雁などで、列を連ねて渡っていくのが、遥か遠くに小さく見えるのは、なかなか
におもしろい。
第三段
三月三日
すこし曇りたる夕つ方、夜など、しのびたるほととぎすの遠う、そら耳かとおぼゆるまで
たどたどしきを聞きつけたらむ、なに心地かはせむ。
少し曇っている夕方や夜などに、遠慮するかのように低い、小さな声で鳴いているほと
とぎすの、ほんとうの声かどうかと疑われるくらい遠くかすかな声を聞きつけたような時
は、実に筆舌に尽くし難い気持ちがするものだ。
にくきもの からすの集まりて飛び違ひ、さめき鳴きたる。
カラスが集まって飛び交って、騒がしく鳴いているとき。
木の花は 唐土にことことしき名つきたる鳥の、選りてこれにのみ居るらむ、いみじう心異なり
中国で大げさな名前が付けられた霊鳥(鳳凰)が、選り好みしてこの桐の木だけに止まるというのも、とても素晴らしい木のように思える。
第四十六段
節は
夕暮れのほどにほととぎすの名のりしたるも、すべてをかしういみじ。
夕暮れのころにほととぎすが鳴いたのも、すべておもしろくすばらしい。
第七十三段 常磐木おほかるところに、烏の寝て、夜中ばかりにいねさわがしく落ちまろび、木づたいて、寝おびれたるかた声に鳴きたるこそ、昼のみめにはたがひてをかしけれ。
常磐木の多くある所に、烏が寝て、夜中ごろに寝迷ってさわがしく落ちころび、木から木へ伝って、寝とぼけたとんま声で鳴いているのは、昼間見ている烏のありさまとは違って、おもしろいものである。
第七十四段 しのびたるところにては、夏こそをかしけれ。いみじう短き夜のいとはかなく明けぬるに、つゆ寝ずなりぬ。やがてよろづみなあけながらなれば、涼しう見わたされたり。いますこしいふべきことのあれば、かたみにいらへどもするほどに、ただゐたる前より、烏の高く鳴きて行くこそいと顕証なるここちしてをかしけれ。
忍んで逢うときでは、夏がもっともおもしろいものである。非常に短い夜が、まことにあっけなく明けてしまうのでまったく眠らないでしまう。そのままどこもかしこもみな開けっ放しのままなので、涼しげに見わたされる。まだもう少し話したいと思うことがあるので、お互いに答えたりしているうちに、座っているすぐ前を通って、烏が高い声で鳴いて行くのは、すっかり見られた心地がして、おもしろいものである。
うつくしきもの うつくしきもの 爪にかきたるちごの顔。すずめの子の、ねず鳴きするに踊り来る。
かわいらしいもの。爪に描いた幼い子供の顔。雀の子が、人が鼠の鳴き真似をすると
跳ねてやって来ること。
あさましきもの 人のために恥づかしうあしきことを、つつみもなく言ひゐたる。かならず来なむと思ふ人
を、夜一夜起き明し待ちて、暁がたに、いささかうち忘れて寝入りにけるに、烏のいと
近く、かかと鳴くに、うち見上げたれば、昼になりにける、いみじうあさまし。
人が恥ずかしくなるような悪口を、遠慮もせずに言っている時。必ず来るだろうという男
を、一晩中、起き明かして待って、明け方になって少し忘れてしまって、寝入ってしまっ
たところ、カラスがとても近くでカーカーと鳴くので、空を見上げたら、もう昼になってしま
っている、とても情けない。
見るものは 日は出でわたれど、空はなほうち曇りたるに、いかで聞かむと目をさまし起きゐて待たるるるほととぎすの、あまたさへあるにやと聞ゆるまで鳴きほびかせば、いみじうめでたしと思ふほどに、鶯の老いたる声にて、かれに似せむとおぼしくうちそへたるこそにくけれど、またおかしければ・・・
太陽は上がったけれど、空はまだ曇っているが、なんとかして聞きたいと目を覚まし起きて座って待たずにいられない(あの貴重な)ほととぎすの(鳴き声が一声でなく)たくさんいるのであろうかと思われるくらいまで、大きな声ではっきり鳴いているので、ほんとうに素晴らしいと思っているときに、(春の鳥である)鶯が年老いた声で、ほととぎすの声に似せようと思っているらしく鳴き添えたときは、にくらしいけれども、またおもしろい・・・
さわがしきもの 走り火。板屋の上にてたつる烏、斎の生飯食ふ。
飛び火。板屋の上で烏が斎の生飯を食べる。
神は 神は松の尾。
つみて池は、鴛鴦など、いとをかし。
神は 松の尾(神社がすばらしい)
つみて池には、鴛鴦がいることなど、まことにすばらしい。

表紙
鳥へぇ