鷹狩
| 起源 | 四千年前 中央アジアの平原 |
| 日本 | 五世紀初頭 朝鮮半島から伝来。 放鷹、鷹野。 |
| コンドル |
| ワシ、タカ、ハゲワシ、ミサゴ、ヘビクイワシ |
| ハヤブサ |
| フクロウ、メンフクロウ |
鷹狩りに使う鷹は200g〜2kg
| 欧州 | |||
| 鷹 | シロハヤブサ ハヤブサ |
オオタカ | ハイタカ コチョウゲンボウ |
| 獲物 | ライチョウ ヤマウズラ |
ノウサギ アナウサギ |
小鳥 |
| 日本 | |||
| 鷹 | (ハヤブサ) | オオタカ | 小鷹 |
| 獲物 | 鳥 兎 |
小鳥 | |
| 江戸時代 | |
| よく使われた鷹 | ハイタカ(♀) オオタカ(♀) ハヤブサ(♀) |
| 網掛 野生のタカを訓練したもの。 秋口から調教。 主な産地は、松前、津軽、出羽、陸奥。 鷹が生息する鷹巣山を手中に収めることが重要。 |
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| 巣鷹 巣から取ってきて人が育てた鷹 (野生で生活していた鷹は、大きな鳥は危険なので襲わない) |
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| 獲物 | 上ケ鳥 ナベヅルなど |
| 金額 | オオタカ 二十両 オオタカ(若) 七両 ハヤブサ 二両 |
| 獲物 | |
| オオタカ | ナベヅル、ハクチョウ、ガン、カモ、白鷺、バン、キジ、野うさぎ |
| ハヤブサ | キジ、ツル、ガン、サギ |
| ハイタカ | コガモ、ウズラ、ヒバリ |
| ツミ |
| 鷹狩りの大鷹 | 一才 | わかたか | 黄鷹 |
| 二才 | かたかへり | 撫鷹 | |
| 三才 | あをたか | 青鷹 蒼鷹 |
| メス | オス | ||||
| オオタカ | 弟鷹 大鷹 |
だい おほたか |
兄鷹 勢宇 小鷹 |
せう | 奈良時代 あをたか 平安時代 おほたか 古語は倶知 |
| ハイタカ | 鷂 灰鷹 |
はしたか | 兄鷂 児鷂 |
このり | 平安時代 はしたか(♀) このり(♂) 鎌倉時代 はいたか |
| ツミ | 雀鷹 | つみ | 悦哉 | えっさい | |
| オオタカのオスは『ショウ』放鷹には用いなかった。 |
| 満州で捕らえたチョウセンオオタカが最も優れていて、体格も内地産のものよりはるかに大きく力が強い。 |
| 江戸時代 |
| 江戸時代、鷹狩はスポーツではなく、領土の巡視、家臣の鍛錬などの意味があった。 |
| 徳川家康は鷹狩りを好んだ。 鶴を捕って天皇家に献上することが徳川家の仕事。 日帰り〜最長で三か月。 |
| 日本橋から五里四方の郊外が全て将軍の鷹場。 その外側の十里四方は、徳川御三家の鷹狩の場。 そこは、御捉飼場と称して鷹の訓練とその餌となる小鳥を捕る場所。 そのため、多様な鳥が見られた反面、農民にとっては大変だった。 家屋新築、改築、樹木の伐採など、鳥見へ届けて許可を得る必要があった。 鶴の飼付場に指定されると、鶴が去る時期までは、自分の田畑でも出入り禁止。 鷹を養うための小鳥、その小鳥の餌となる昆虫類などの供給も、周辺の農村に割り当てられた。 |
| 将軍 | |||
| 若年寄 | |||
| 鷹匠頭 | 鳥見組頭 |
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| 鷹匠組頭 | 鷹師同心 鷹部屋門番 |
餌指 |
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| 鷹匠 | 鳥見役 | ||
| 鳥見見習い 綱差 | |||
| 鷹匠頭 | たかじょうがしら | 二人 御捉飼場、御鷹部屋の管理。 旗本の世襲 千石高、二十人扶持 |
| 鷹匠組頭 | たかじょうくみがしら | 御目見え格 250俵高 |
| 鷹匠 | たかじょう | 鷹の飼育、調教係 幕府の若年寄(今の政府の局長クラス)の支配下 100俵高、三人扶持 |
| 鳥見組頭 | とりみくみがしら | 二人 御目見え格 200俵高、五人扶持 |
| 鳥見役 | とりみやく | 密猟の監視、鳥の生息状況の把握。 鷹狩りのときに準備を行う。 (探偵、諜報活動が本業という説も) 餌差(餌指)えさし、餌鳥(餌取)えとり役人の監視。 一代抱え席、御目見え以下。 80俵高、五人扶持 |
| 綱差 | つなさし | 鷹狩りの獲物となる鶴などの捕獲、飼育。 |
| 鶴飼付役 | つるえづけやく | 鶴の飼付けで餌となる泥鰌、籾などの確保。 |
| 餌差 | えさし | 鷹の餌用の雀などの小鳥を捕獲する役人。 鳥もちを利用して小鳥を捕獲(差す)。 |
| 餌取 | えとり | 餌取屋敷とは将軍の飼っている鷹の餌である鳥を、幕府の鷹部屋に納める役目である『鷹餌鳥請負人』が拝領した屋敷。 |
大岡越前守 3,000石
遠山の金さん 3,000石
長谷川平蔵 400石
西郷隆盛 80石
たそがれ清兵衛 50石
伊賀忍者 30俵、三人扶持
中村主水 30俵、二人扶持 (年収100万円位)
銭形平次 もっと少ない、十手も許可がないと持てない
| 目黒のさんま |
| 殿様が目黒まで鷹狩りに出た時の落語の噺。 |
| 東京の地名 | 千代田区隼町 | 鷹匠の屋敷があった。 |
| 新宿区市谷鷹匠町 |
鷹匠の役人が居住していた。 |
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| 目黒区鷹番 | 目黒筋鷹狩場の番人の屋敷があった。 | |
| 葛飾区白鳥 | 昔、白鳥沼があり、徳川家の御鷹狩り場であった。 | |
| 小平市たかの台 | 尾張家の鷹場があった | |
| 奥多摩町鷹ノ巣山 | 鷹の営巣地であり、幼鳥を将軍に献上していた | |
| 神田餌鳥町 | 今は無い。(現 千代田区東神田三丁目) 餌鳥屋敷があった。 |
| 出羽の国 | 山形県省内地方 戦国時代の武将たちは鷹狩りを好んだ。 月山の麓に鷹匠山があり、大網集落がある。 優秀な鷹や、弓矢に使用する羽根を徳川幕府に献上していた。 オオタカは鷹狩りに一番多く使われ、最高位に位置付けられていた。 |
| 平安時代 | 鷹狩の勝負では、鶉一羽は小鳥五羽に数えられている。(基成朝臣鷹狩記) |
| 表紙 |
| 鳥へぇ |